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研究開発部
製品開発二課 課長

山岡 久時
YAMAOKA HISATOKI
1999年入社

世界に飛び出して活躍できるフィールドがある。

Section 1

さまざまな経験を通して成長を実感

大分県出身の私は、もともと川澄化学に親しみを感じていました。夕方になるとテレビでコマーシャルが流れていて、地元で働くならここがいいと思い、志望することに。大企業ではありませんが、その分、経営陣と社員との距離が近いこと、そして社員一人ひとりの業務内容はもちろん、責任も大きいとことが当社の魅力だと感じます。
私のキャリアを振り返りますと、入社1年目は主力製品である人工腎臓透析器の生産に携わることで現場を知り、その後は研究開発部で材料設計や製品改良を、入社8年目には当時の生産技術部へと異動しました。その後、タイ工場に赴任し、マネージャーとして奮闘。これらすべての経験は、現在の業務にも生かされ、私自身の引き出しの多さにつながっていると思います。

Section 2

タイ工場の立ち上げで6年間の赴任

若いうちから海外で活躍するチャンスがあるのも川澄化学の大きな魅力。実際、私自身も約6年間、海外で仕事をすることができました。赴任したのは入社11年目のこと。タイでの新工場の立ち上げのため、海外赴任のチャンスがまわってきました。生まれも育ちも大分県という私にとって海外赴任は「まさか自分が」「若い自分にこんなチャンスが」という驚きとともに、「これまでの努力が評価されたのでは」と高揚した気持ちになったのを覚えています。 しかし赴任当初は、コミュニケーションに非常に苦労しました。タイ工場では、タイ語が主なコミュニケーション手段なので、身振り手振りで表現したり、辞書を持ち歩いたりして仕事をしていました。そうやって3年が経ったときには、新規工場の立ち上げに向けて苦労をともにした仲間ということで気持ちも通じ合うようになり、同じチームのメンバーとして一体感を持つようになりました。海外赴任後にマネージャーになったので、タイでは言葉の違いだけでなく、マネージャーとしてのスタッフとの関わり方やチーム作りを理解できたことも大きな収穫でした。そんなタイでの6年間は生産現場と管理現場の両方を体験でき、同時に30代前半という若さで海外工場のマネジメントも経験できた、とても貴重な時間となりました。

Section 3

企業としての社会的責任を果たすために

現在私は、新設されたばかりの研究開発部製品開発二課で、血液関連の新規製品の開発を担当しています。これは当社の事業の柱の一つとなるもの。血液事業分野に関して、新規製品の調査探索から開発までを担当しています。製品として“いいもの”を開発するのは当然ですが、企業として大切なのは、それが同時に“売れる製品”でもあること。市場やお客様が何を求めているかというニーズを正しくひろい、慎重にリサーチすることで“売れる製品”が生まれるのではないでしょうか。また、私たちは研究所ではなくメーカーですので、良い品質の製品を安定的に供給できる体制も必要です。こうした重要な業務にマネジメントの立場で関わっていることに、大きな誇りを持っています。私が開発を手がけた製品が世界に向けて発売され、広く受け入れられていくことが、これからの私の目標です。

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